タンゴの都ブエノス・アイレスへ
上ノ町歌都美
私は二月の末から約二週間の予定で日本からは全く地球の裏側になるアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスに行ってきました。思いがけない旅だったのですが。
私は歌を習い始めて六年目になり、最初は趣味のカルチャースクールといった気軽なものでした。が、出会った先生がすばらしく、シャンソンやカンツォーネを歌うクラスとは別に、先生に導かれるように二年前からクラシックの発声を個人指導で習うようになり、先生と私の発声レッスンは毎週毎週続いています。先生は声楽をきちんを学ばれた人で、シャンソンやカンツォーネも歌われますが、アルゼンチンで行われる『ブエノス・アイレス国際タンゴフェスティバル』に招待されていて、先生には、もう四度目のアルゼンチンだったのです。昨年ノ夏頃、先生に「安くツアーを組んでもらうから、アルゼンチンに行かない。もし行くなら歌わせてあげるわよ」と言われ、私は何だか胸がときめいて行く気持ちで心が動き出し、家族もまたと無いチャンスと背中を押してくれて、はるばる最も遠い国かと思われるような所へ出かけることになりました。目的は先生の応援、タンゴの本場でタンゴに触れること、そして、異国で自分が歌うということ。異国の人達は私の歌を聴いてくれるだろうか。途方も無い冒険旅行気分になりました。
ここで少しアルゼンチンという国の概要を書いてみますと、海外旅行の広告にもほとんど出てこないアルゼンチンは、私自身全くこの国に関する知識が無かったからです。
アルゼンチンは日本の約7.5倍の面積に人口3,600万人という豊かな国土に恵まれていて、人口のほとんどがヨーロッパ(スペイン・イタリア・フランス・ドイツ)からの移民で、教育水準や文化水準は高く、移民が築いた安楽の地と言われています。中央部にはパンパと呼ばれる大平野が広がり、農業国として成長した国で、国土が北から南へ長いこともあり、亜熱帯ジャングルから乾燥した大平原とアンデス山脈、そして年中氷河に閉ざされた世界まで様々な自然形態が揃っているということ。私は着いてすぐに体調を崩したり、歌うという目的があったので、大自然に触れることができなかったのが残念でしたが。
ブエノス・アイレスは、そろそろ晩夏。でも強い日差しが迎えてくれて、到着した夜、泊まるホテルで早速『小松亮太』のコンサートがありました。今は日本でも有名でNHKなどにもよく出演していて、バンドネオン奏者です。バンドネオンの音色にバイオリンはじめ弦楽器の音がかぶさり、切れのいいピアノ。初めて聴くタンゴの生演奏にすっかり魅了されました。彼らのバンドは南米ではとても有名らしく、日本の若者達がこの地球の裏側で活躍していることに痛く感激した夜でした。
市内観光で最も印象に残っているのはコロン劇場で、コロン劇場はパリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並んで世界三大劇場と言われています。彫刻の施された石造りの外観、中に入ると当時ヨーロッパから運んだとされる大理石造りに、ステンドグラスはフランスからと贅が尽くされていて、更に私が驚いたのは地下でした。地下は三階まであり、まさに工場と言えるもので、上演されるオペラに必要な物すべてが、この地下で作られるということです。仕立屋、靴屋、鍛冶屋など全てを見学できるのがすばらしい。客席はまさに映画に出てくるような雰囲気で、その昔、馬車で乗り付けて観劇に来た人々を思い浮かべるのに充分でした。
街の中心には街の象徴であるオベリスコの記念塔が立っており、街全体が碁盤の目のように作られていて、一ブロック100メートルで、地図さえあればとても歩きやすい街です。地下鉄がA線からE線まで五本走っていて、地下鉄で街へも遊びに出かけられ、ホテルの前から乗ったのはB線で何故か懐かしく思ったら、東京の丸の内線でした。「乗務員室」などと漢字が残されたまま使われているのがおかしく、C線とD線は名古屋のお古だそうです。ブエノス・アイレスは「南米のパリ」と呼ばれるヨーロッパ的な都市で、中心部はとても賑やかで散策や買い物を楽しむことができました。
私はこの旅で恐らく誰も経験しないであろう楽しい思い出ができました。それは三月五日の『青木FUKI』コンサートで一曲歌わせていただくことになったのですが、ホテルの部屋では発声練習ができないので、18階の先生の部屋に付いているバルコニーを貸して頂くことになったのです。それは屋上といった感じの広いバルコニーで、毎朝、先生からお借りしたカードキーでバルコニーに通い、発声練習を続けました。ホテルの18階からブエノスアイレスの街を見下ろし、抜けるような青い空と太陽の下での発声と歌の練習。まるで、とてつもなく大きな舞台に立っているような心地よさは今も忘れることはできません。
そうして迎えた五日のコンサート。バンドはピアニストからバイオリニスト、バンドネオン奏者と有名な奏者ばかり。リハーサルで、私はその演奏の深い味わいに感動し、先生のタンゴのすばらしさに心を奪われ、自分がこの環境の中で歌えることの幸せを体一杯に感じていました。多少の緊張はありましたが喜びの方が勝って、本番ではのびのびと、歌うことを心から楽しむことができたのです。心からタンゴを愛し、生活にタンゴが溶け込んでいるアルゼンチンの人々からの温かい拍手には心から感動し、夢のような経験をさせて下さった先生への感謝と、改めて認識した先生の実力に感激し、興奮冷めやることのない時を過ごしました。
歌も無事終わった最後の日、先生の通訳をされていたアリーシアさんに、有名なカミニートとのみの市を案内してもらいました。カミニートはラプラタ川の河口にあり、移民達が船で着いた場所で、色鮮やかに塗られた家々の壁が目を引き、通りのカフェテリアではタンゴの演奏やダンスを楽しむというカミニートならではの光景でした。
午後はアリーシアさんのお宅に歌の仲間と共に招待して頂き、アルゼンチンの一般家庭の様子も覗くことができました。御主人の作って下さったアサドと呼ばれる焼肉料理の何とおいしかったこと。お互い楽器を演奏したり歌を歌ったりしながら、料理とワインを楽しみ、旅の最後の夜を満喫することができました。
往復の行程四日という長旅も、感謝と喜びと充実の旅であったことを思い喜んでいます。